富山家庭裁判所 昭和53年(少)587号 決定 1978年9月29日
少年 S・M子(昭三九・五・五生)
主文
本件を富山児童相談所長に送致する。
同相談所長は、少年に対し、昭和五三年九月二九日から向う一年間を限度としてその行動の自由を制限する強制的措置をとることができる。
理由
1 富山児童相談所長は、「本件を富山児童相談所長に送致する。同相談所長は、少年に対して、必要に応じその行動の自由を制限する強制的措置をとることができる。」旨の決定を求めた。その理由は、同相談所長作成にかかる昭和五三年九月二八日付児童送致書「送致理由」欄記載のとおりであるから、これを引用する。
2 少年に対する昭和五三年少第二〇五号、同第五六八号触法(現住建造物放火未遂)、ぐ犯保護事件について、裁判所は昭和五三年九月二七日付教護院送致決定において、強制的措置の必要性が懸念されるが、その許可申請がないのでこれを認めるのは相当でない旨「処遇勧告」の項で述べた。その他上記決定中の理由(別紙のとおり)は本件においても妥当するのでこれを引用する。
3 本件記録及び上記別件保護事件の一件記録によれば、
(1) 少年は、典型的ヒステリー性格の情緒不安定児であつて、養育過程における家庭の人間関係の歪みがその原因として指摘されているのであるから、その改善のためには実母との物理的分離を確保しつつ教護する必要があること
(2) その行動傾向に鑑みると、何らの措置をとることなく放置しておくならば、少年は教護院を無断外出して放浪し、非社会的あるいは反社会的行動に走るおそれが高く、場合によつては自傷のおそれもあること
(3) その行動傾向を鑑みると、実母は少年に対する教護院における教護を妨害するおそれが強いことが認められる。
従つて、教護の実をあげるためには、少年の年齢等諸般の事情を考慮して向う一年間にかぎり少年に対し、その行動の自由を制限する強制的措置がとられるのも止むをえないものと考えられる。そしてその具体的措置としては、逃走防止用設備のある教護院内の寮舎への少年の収容に加えて、教護の必要上最少限の少年に対する面会の制限を含むものと考える。(もつとも、実母の働きかけさえなければ少年自身には開放処遇を受け入れる素地は十分にあり、早期にこれが軌道にのる可能性は高いものと考える。入所後の暫時の実母との分離確保の重要性を思いあえて面会の制限にまでふれたゆえんである。)
なお、上記の如き経過で本件受理に至つており、上記別件事件の調査、審判を通じて強制的措置の必要性についても十分審理を尽しているので、本件について審判を開始せず決定をなした次第である。
よつて、少年法一八条二項少年審判規則二三条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 杉森研二)
別紙
理由
(非行事実)
少年は、
1 昭和五二年九月実母と共に東京都から富山市に転居してきた者であるが、東京在住時より家出放浪をくり返し、ことに昭和五三年二月ころからは家庭及び学校に顕著な不適応症状を示し、再三最寄りの○○警察署・○○警察官派出所の○○巡査らに保護されるようになり同人に対する依存を強めたが、次第に同人らにも敬遠されるようになつたところから、犯罪を犯せば再び同人らの関心をひくものと考え、昭和五三年四月一三日午後四時ころ、肩書地の自宅応接間において同所引戸のカーテンにマッチで火を放ち、もつて同家を焼燬しようとしたが、間もなくかけつけた○○消防署消防隊の消火活動により消しとめられたため、カーペット及び床などの一部をくん焼させたにとどまり、実母S・Z子及び少年が現に居住している上記家屋を焼毀するに至らなかつた。
2 上記非行により昭和五三年五月一二日国立○○○病院の検診を受けることを条件に当庁調査官の試験観察に付され同病院に入院することとなつたが、その間は一応の安定は示していたものの、実母の執拗な治療妨害のため退院を余儀なくされ実母と共に生活をはじめるや再び顕著な情緒不安定を示しはじめ、同年九月五日転校後間もない富山市立○○中学校の授業時間中に無断で同所をぬけだして当庁を訪れ、関係者の説得にも応じず担当裁判官への面会を強要し、ヒステリー症状を呈して「正午の列車で上京する」「死んでやる」「犯罪を犯してやる」等の言動を示していたものであつて保護者の正当な監督に服さずかつ自己の徳性を害する性癖を有するものであつてその性格及び環境に照らし将来罪を犯すおそれの強い
ものである。
(適条)
1 少年法三条一項二号、刑法一一二条、一〇八条
2 少年法三条一項三号イ、ニ
(処遇)
1 受理に至る経緯
少年は、昭和五三年四月一三日自宅に放火(未遂)したとの嫌疑をうけて○○警察署から富山児童相談所に通告がなされ、児童相談所は少年に対し、同月一三日から一五日までの間一時保護の措置をとつて調査をなし、教護院入所が必要であるとの結論に達してその旨保護者である実母の説得にあたつたが、実母が全く応ずる気配を示さないため、児童相談所長は児童福祉法二七条一項四号の規定により同月一五日当裁判所に少年を送致した。(昭和五三年少第二〇五号事件)。当裁判所は調査・審理をなし同年五月一二日「保護者は少年を国立○○○病院児童精神科の検診を受けさせること」との条件を付して少年を当庁調査官の試験観察に付し(後に、同病院医師○○○に身柄共補導委託)、同病院に入院した少年を同医師の治療・監護に期待して経過を観察したが、実母は数々の理由をあげて治療妨害をつづけ、同医師及び当庁調査官の説得にも拘らずついに同年七月一七日少年を退院させてしまつた。母親はその後も調査官の指示に従わず、同年八月富山に少年と共に戻り、少年を富山市立○○中学校に転校させたが、当裁判所は転校後まもなくの同年九月五日上記非行(昭和五三年少第五六八号事件)を惹起した少年に対し、同日観護措置決定をなした。
2 少年の問題行動は小学校時代からすでにみられ、中学校に入つてからは学校教育担当者には手の施しようのない段階に至つている。(詳細については当庁調査官作成にかかる昭和五三年五月一〇日付少年調査票記載のとおり)。
3 少年は潜在的には普通域の知能を有しているものの、学校や家庭での教育不全のためかこれを日常行動の場面にまで結びつけるには至つておらず、幼稚で空想的な思考に終始しており、逃避的、退行的、依存的傾向が顕著であつて、根強い不満足感を内蔵し情緒が極めて不安定で協調性に欠け社会性が未熟であるなどその人格形成面での全般にわたる未分化・未発達及び歪みが目立つ現況にあり、基本的生活習慣もほとんど身につけていない。
4 少年は実母の婚外子として出生し(昭和四四年一二月二日実父認知)、以来実母と祖母(昭和五〇年三月死亡)が少年の養育に携わつてきたのであるが、少年が病弱であつたこと、少年に対する関心が強かつたことに加えて父不在の不憫さも手伝つてか無意識のうちに過保護におちいつて少年の発達段階に応じた適切な監護教育に欠けた実母らの養育態度は、少年の健全な人格形成を阻害し上記の少年の問題性を助長してきたものと考えられる。さらに、少年の存在を実父との結びつきの唯一の頼みとし、周囲に対しては病的と思われるほどの防衛的対抗的な姿勢に終始し、一方で実父に対する強い不満をもちながら他方でその社会的地位に全面的に依存するといつた実母らの生活態度も少年の健全な人格形成を阻害する一因となつたものと考えられる。
5 上記の如く当裁判所は少年を国立○○○病院の○○医師に委託してその動向を観察した。上記試験観察の結果ならびに本件記録にあらわれた医師その他の専門家の少年の改善治療に関する意見をまとめると下記のとおりである。
(1) 少年の問題行動は精神医学的見地からはヒステリー反応と考えられること。
(2) 治療としては当面生活環境ことに周囲の人間環境の改善・調整が急務であること(母子を分離したうえで治療を施すことが最少限度必要であること)。
(3) そのためには実母の協力が必須の条件となるところ、実母は少年を異常なまでに偏愛するのあまり治療に協力しないばかりかむしろ少年と治療者との関係を嫉妬妄想的に曲解し、攻撃的好訴的態度で治療関係を妨害して従前の母子関係を温存しようとしたこと。
(4) 裁判所による母親に対する説得も効果なく、この面での実父の全面的な協力も得られない現段階では、母親のこのような態度の改善は期待できないこと。
6 以上の次第であるから、少年に対し、早急に収容保護に踏み切り必要最少限の生活環境の改善をなして本件非行の如き自滅的行動の再発を防止すると共に母親との物理的分離を確保しつつその心情の安定を図つていくのでなければ、少年の規範意識や社会性の養成、健全な生活態度の習得など積極的な改善治療はおぼつかないものといわざるをえない。とすれば、このような施設として学校教育及び心理療法的援護の可能な教護院において少年を生活せしめその建全な育成を図るのが最も妥当であると考える。
7 (処遇勧告)
収容すべき教護院としては、国立きぬ川学院が相当であると考える。そして少年のこれまでの行動傾向から考えると当初は強制的措置をとりつつ教護する必要性も考えられないわけではないが、少年法六条三項による申請のない本件においてはこの許可をなすことは相当でないので、この点については必要に応じて申請をまつて判断することとする。